危険な話題

ひきこもり業界においては、「性愛」の話は、ひょっとしたら「天皇制」の話より危険なのかもしれない。 ものすごくいろんな人の傷に触ってしまう。
昨日のエントリーについては、性的承認を得ているかたは冷静に反応し、性的承認経験のなさに傷ついている人ほど、肯定・否定の針の揺れ方が激しかったみたい。


僕は恋愛論というのは、あまりにも自分の傷にさわる話だし、「恋愛論をしたって恋愛はできない」と思って、避けてきた。 さらに最近では「恋愛も結婚もなくていい」と本気で考えるようになって、ますます遠ざかってたんだけど、どうもやっぱり性愛の話というのは「なかったこと」にはできないのかもしれない。 そもそもたったあれだけの文章に打ちのめされている時点で、ぜんぜん「過去の話」になってない。 いや、僕がショックを受けたのは、「20歳で出会いがあれば、その後の地獄のような展開はなかったかもしれない」と思ったから・・・・ぶつぶつ・・・・


――卑怯なエクスキューズめくが、性愛について語り始めた途端、僕の文章は支離滅裂になる。 何度推敲を試みても、その作業自体がひどく苦痛。 端的に、話題として「熱すぎる」。
そもそも、「性的承認の不在」は、どうしてこれほど深い傷になっているのだろう。 これほどまでに性から排除されているのだから、「もう性愛はなくていい」というのも個人の選択としてあっていいと思うのだが、心のメカニズムがそれを許さないということか。