「承認」 → 「転移」?

「もう少し広く深い問題設定」というのは、≪転移≫の話です。
精神分析的な知識をお持ちのかたは、僕がこう言っただけで「な〜んだ…」かもしれませんが、問題設定は陳腐でも、そこには引きこもり問題に貢献できる鉱脈がまだ眠っているかもしれない。
「転移」との関係でひきこもりを論じた発言を見たことがないので*1、ひとまず自分を素材にしながら、思いついたことを散発的に書き付けてみます。

  • ≪転移≫の問題を、先日から考えている「承認」(性愛・代替可能・単独性・など)との関連で考えてみる。
    • 「転移のなさ=欲望のなさ」(つまり慢性的に無意識が閉じている)のが、ひきこもりの苦痛の際立った特徴ではないか。統合失調症では転移が生じない*2らしいが、ひきこもりで転移が生じにくいのには別の事情がある → シニシズム、プライドの高さ? なぜそうなった?
    • 「欲望がない」のは、「才能がない」からか。でも「無意識がない」というのは変だから、「無意識を刺激される経験がない」ということか。 → このあたりにサポートや自助努力のヒントがないか?
    • オタクの世界には、快感の回路がたくさんあるから、転移資源は豊富だ、というのは変な認識でしょうか。
    • 【追記: これまで当日記にいくつか個人情報とか個人的体験を書いてきたんだけど、これってやっぱり本に書いたこと以後はやめていきたいので、これからチョコチョコと情報を消していきます。】
    • 転移回路の失調は、生活における自己管理の破綻を招かないだろうか。【ふつうに言い換えれば、「欲望を見失うと、生活を維持できなくなる」。】


  • 僕が一時期夢中になった(つまり転移した)東浩紀氏『存在論的、郵便的ISBN:4104262013 は、デリダ(の著作)への転移をきっかけとする、転移そのもの(およびその切断)についての自己言及的な作品だった。そこには「転移が思弁を駆動する」という有名な*3フレーズがあったが、僕が「ひきこもり」について執拗にものを考えるとして、それは「転移」に基づくのではなく、「傷」に基づいている。「いったいあの当時の体験は、そしてこの今の苦しみは、何なのか?」 → 「転移も傷の一種であり、傷への感情も転移の一種だ」と考えるべきなのか。執拗な執着。
    • 「考えても、どうにもならない」と思うにつれ、読書や思考が嫌になっていった。「これについて考えよう」というのは、「鉱脈を発見した」気分であり、「こんなところ掘り返したってどうにもならない」と思えば、考えなくなる。子供のように「掘ること自体を楽しむ」なら別だが、益もないのに傷をつつきまわすのは楽しいことではない。
    • 「苦痛除去や生活運営」について考えることも、「鉱脈をまさぐる」ような作業にならなければ、それ自体が屈辱的な労役になる。「こんなことをやるために生まれてきたのではない」。解くのに苦痛を感じているクロスワードパズルを続ける必要はない。
    • 「考えること自体が楽しい」のと、「成果を作らなければ死ぬ」と思いながら考えるのとの違い。 → 僕は明らかに後者で、「それによってもたらされる効果」にしか興味がない。「プロセス自体を楽しむ」ことができない。


  • 転移感情とは、「この人は、私以上に私のリアルを掴んでいる」という印象。
    • そういう相手から「お前は現実逃避している」と言われることがどれほど恐ろしいことか。
    • 相手のリアルを掴まないままにする命令は、「説教」にしかならない。 → 「イマドキの子供は…」と言っている大人は、子供に転移感情を持たせることに失敗している。「あんな奴ダメだよな」と言っている人間自身が人を魅惑する能力を備えていることはほとんどない。
    • 精神分析家に求められる「転移させる能力」は、「性的に受容させる能力」以上に稀有ではないか。 → 「リアルによる愛」と、「性による愛」?


  • 受容や承認における「実績」の重要性。「何をやっても受け入れてくれる」のは「万能のお母さん」だけ。社会生活や友人・恋愛関係においては、「過去の実績」と、「新しく築かれる実績」が、関係性をめまぐるしく変える。「これまでは高い評価を受けていた人が、たった一度の言動で拒絶される」こともある*4
    • 「何があっても受け入れる」は、(id:jouno 氏の言う通り)「分節や差異の解消」(の思い込み)であり、ロマンティックな(想像的な)言明、あるいは一種の非合理な≪狂信≫ではないか。 → むしろ問題は、「どうして僕らは狂信を必要とするか」ではないか*5
    • 幼児的万能感と空疎なプライドで「自分がいちばん偉い」(まさに狂信)と思っているひきこもりは、自分以外の対象に帰依することを拒む。 → これが恋愛困難の一つの要因になっていないか? 恋愛とは、一種の帰依=狂信だと思うのだが。
    • 「自分の外の対象への帰依」を拒んでも、「内なる無意識的狂信」が消えるわけではない。 → その指摘への怯えが、「無意識論」への拒絶か?【これは「郵便的」ではなく、「否定神学的」と呼ぶべき無意識理解か。でも「だからいけない」とは簡単に言いたくない。それ自体が思考停止だと思うから。】
    • 言論事業への徹底した没入において起こっていることは何か。



軌道修正(鉱脈の探りなおし)は常にします。 あと、お馬鹿な発言の修正も。





*1:あったらぜひ教えてください! 斎藤環さんは明白に精神分析的な立場をお持ちですが、表立って「転移」でひきこもりを論じた発言はなかったと…。あったっけ?

*2:と、読んだ記憶があるのですが、ちがってますでしょうか。

*3:探したけど見つからない…。記憶違い?

*4:再チャレンジの回路はあると思いたいが。

*5:「自分だけは狂っていない」と本気で思い込む人は狂っている、というのはいろんなバリエーションでいろんな人が言ってますが。