「引きこもり=マイノリティ」?

僕は無造作に「引きこもりというマイノリティ」などと書いていたのですが、よかったのでしょうか。
つまり、たとえば「黒人」や「同性愛」などの生来の条件によって社会的少数者に追い込まれた場合は、「その条件を改変することは不可能」であり、「そもそも改変を望んでいない」。しかし「引きこもり」の場合は、カテゴリそのものが「可変的な状態像」に基づき、かつ「無能力ゆえに生じている苦痛」が根本であるため、「できればその状態を改善したい」わけです*1。――これを「マイノリティ」と呼んでいいのかどうか。
僕は「社会的に少数者で、弱い立場に置かれている」という意味で「マイノリティ」という言葉を使っていたのですが。


というわけで、ネット上で調べてみたのですが、次のような文章が見つかりました

 「マイノリティ」の定義は国際連合のレベルで長い間議論されましたが、今日も明確な合意に至っていないのが事実です。マイノリティとは、一言でいうと数の問題です。ある特定の社会に所在する個人を民族や宗教などで分類したとき、少数に属する人たちと考えれば間違いないはずでした。ところが国連レベルでは、数だけでマイノリティを定義できないという問題があります。特に南アフリカアパルトヘイト問題で、少数の白人が多数の有色人種を差別しました。

相対的に数が多くても、立場が弱ければ「マイノリティ」である?

 女性の問題にしても、確かに女性は男性よりも多数ですが、歴史的に今日、女性は差別を受けています。女性はマジョリティで男性はマイノリティだという議論は、少なくとも国際人権法の立場から議論できません。マイノリティとは、特定の個人集団が享有する人権とその尊厳、アイデンティティを尊重するために用いられ、それを課題とする歴史があり、数だけで割り切れないのです。結局、マイノリティの定義を議論するのはやめることになりました。

やめたんですか(泣)


いちおう、引きこもりも「社会的に弱い立場に追いやられた少数者」ということで、「マイノリティ」をめぐる諸議論には、今後も注目してみたいと思います(それぞれのジャンルで事情は違うのでしょうけれども)。



*1:「ホームレス」もそれに近いですね。