死が排除されているのはまずいと思う。

性愛に関する文化はすごく日常化していると思うけど、「死」については、あいかわらず日常から完全に排除されているのでは。
長崎のカッター事件について、教師たちは「命の大切さを」とか「心と心のふれあいを」とか言っているが、学校にああいうヌルイ(それゆえに抑圧的な)文化しかないなら、子供のストレスはいや増すのではないか。
僕らの生活圏から死を排除することなどできない、僕らは死に接しながら生きている、という話を、戦前みたいに「天皇陛下」との関係で語るのか、それともそうではないのか、といったところで、考える必要があると思うのだが。