再帰性に対する、もっとも有益な処方箋は、社会から排除される。

謙虚になるというのは、固定的な差別対象になることではなく、ていねいに考える「プロセス」なのだ。しかしそれをやると、周囲の人たちのアリバイのナルシシズムに抵触し、プロセス自体が起動し始めないように徹底的に押さえ込まれる。謙虚さは、メタ意識の傲慢さに排除される。
実体が抑圧されるのではなく、分析労働のプロセスが抑圧される。
労働過程の抑圧にこそ、問題がある。


再帰性は、ひきこもりの直接のメカニズムになる。分析労働の遂行と関係性の組み替え*1は、その直接の処方箋だが、それは既存社会の「社会化」ロジックに抵触する。 物象化とメタ的アリバイで存在承認(社会性)を得るのがこの社会の住人なのだから、分析を生きてしまえば、そのプロセスは攻撃性と見え、生産物は排除される。
ひきこもりを改善する処方箋は、それに取り組んだ人間を社会から排除する。ここで問われるのは、単なる順応ではなく、政治的な格闘だ。「格闘としての社会参加」が言い得るのか否か。



*1:ここで考えているのは、「精神分析」に対比される「制度分析(analyse institutionnelle)」であり、「制度を使った方法論」(トスケル、フェルナン・ウリジャン・ウリガタリ)。→cf.「制度を使った精神療法(psychothérapie institutionnelle)」