「想像力を持つ権利さえ奪われている」

chiki さん経由で飛んだリンク『宮台真司・仲正昌樹トークセッション〜「共同体」と「自己決定」〜発言録』と、そこからさらに飛んだ仲正昌樹氏のインタビュー【(上)(下)】がとても興味深い。
「大きい物語=再配分の話」と、「小さな物語=承認の話」など、参考になる議論満載で、いずれまたちゃんと論じたいのですが、今日はメモ的に一箇所だけ引用しておきます(少々長いですが)。太字・色変えは僕です。
ドゥルシラ・コーネルの「イマジナリーな領域に対する権利」がこんな話だったとは。

 たいていの人間はそういうネガティブ・アイデンティティを持っています。自分では何かはっきり分からないのだけれども、どっかで歪んだ〝何か〟が自分の中に入ってしまったように感じる。でもだからといって本来の自分というのは、どういう状態なんだと言われると、それは分からない。
 この女性*1にいきなり、売春辞めさせてまともな生活をさせてやる。だから、お前は本当はどうしたいんだ? と聞いても、おそらく答えられないでしょう。もちろんどうにかしてあげたいと考えることは必要なんです。けれどもその時あなたはどういう人だ? 自分で決めろとやるのは全然だめですね。むしろ、自分がどういう存在に本来なりたいのかをもう一度自己再想像していくために、そこを権利の領域として考えるべきだとドゥルシラ・コーネルは言うのです。
 自分がどういう人間になりたいのか、理想像を完全に持ちきっていない人間に対して、もう一度、選択の余地を与え直すということです。当然、赤ん坊には戻れないし、他人にはどうにもできないこともある。けれども、社会的制度上の障害を取り除くことによって、ある程度もう一度自己再想像=リイマジネーションすることが可能な領域というものもある。それがイマジナリーな領域に対する権利という考え方です。*2



勉強しなければならない量がどんどん増えていて、途方に暮れてます。これはもう、やっぱり職業的にやらないとどうしようもないな…。



*1:麻薬中毒の売春婦。子供のころ、実の祖父に近親相姦を強要されていたが、祖父は行為のたびにアメ玉をくれた。「それが快感で、自分のアイデンティティのパターンになってしまった」というのが彼女の自己分析らしい。「性行為によって報酬を得る」という「アイデンティティのパターン」。

*2:仲正昌樹氏のインタビュー内、「マイノリティ、望んでなったわけじゃない」より。