「○○とは何か」

「資本主義という言葉をよく使っているが、意味は分かっているのか?」というご指摘を受けました。
僕は資本主義という言葉で、「各人が自分の利益を追求する競争社会」とか、「商品生産を媒介にして分業が成り立っている社会」とか、それぐらいのニュアンスを表示していたつもりでした。
全共闘世代なら、「資本主義を理解するならマルクス資本論』を読まねば」となるのでしょうか。僕も10代のころ、マルクスに(ご多分に漏れず人文的な)興味を寄せていたのですが、僕が大学に入学した1988年(ソ連東ドイツの崩壊前)でさえ、マルクス経済学はすでに「教養」でしかありえず、現実経済の分析や政策立案には役立たない、というのが通念でした。当時のある有名な雑誌に、「価値形態論から始めるなんてナンセンス」と書いてあったのを鮮烈に覚えています。
現在の経済学関係の文脈では、「資本主義」という言葉にはどのような意味と定義があてられているのでしょうか。そもそもその理解をめぐって、学派が分かれたりするのでしょうか。あるいは、「資本主義の定義」の話と、具体的な経済政策論争とは、あまり関係ないんでしょうか。


先日の「社会学」にも言えることですが、僕が何かの学問を勉強するとしたら、それを通じて自分や環境を変えるため、です。気に入った友人と本の話をするのは楽しいですが、やはりどうしても「どのように生活していくか」という問いに支配されてしまう。学問そのものの面白さに取り憑かれるためには、その学問の追究する問いかけがこちらの抱える問いや必要にシンクロしなければなりませんが、なかなかそうはならない。こちらの葛藤とは関係ないところでなされている議論に見えてしまう*1
当ブログ(日記)の記述を読んでいただければ分かる通り、僕の学問的素養なんて知れたものです。ですが、「なんとか現実的に考えていきたい、具体案を提出したい」ということで、可能な限りの開放性を維持しつつ、いろんなところにアンテナを張って試行錯誤=思考錯誤してみているわけです。バカな発言も多いと思いますが、それは「答えを出して見せびらかす」ようなことではなくて、探求の途上を、あるいはそのプロセスを、お見せしているだけのこと。
ですからできれば、「結果」を馬鹿にするのではなくて*2、「問い」を共有していただけないでしょうか。――もちろん、共有していただけるほどの魅力的な問いを提出することに、僕が失敗している、ということでもあるのでしょうけれど。
ひとまず、「問いを磨くために勉強する」ということになるのでしょうか。



*1:そんなことないんだよ、というご指摘は大歓迎です。ぜひ僕を誘惑してください。

*2:もちろん、誤りはどんどんご指摘ください。