「商品」と「作品」

道路工事に従事した友人が、完成後その道を通るたびに誇らしい気持ちになる、と言っていた。労働の動機はお金だし、仕事も「与えられたもの」でしかなかったと思うが、出来上がった道路に対しては「作品」という意識が芽生えたのだろうか。
店にならぶ商品を見ていても、あまり「作品」という気はしない。作り手たちも、「労働に従事している」気持ちはあっても、「作品を作っている」気持ちはあるかどうか。
たとえば1件の建築物が出来上がるときに、それを「作品」と見るのは設計者だけだろうか。「工事関係者全員」ということはないと思う。
「理論」にも、「作品」という意識を持つと付き合い方が変わったりする。
アニメや芸術を楽しむとき、僕らは「作品」を楽しむわけだが、それは同時に「商品」でもあって。


――僕がどの辺で考えようとしているか、ぜんぜんわからない?