「情報格差」&「脱・naive」

今日、デジタルデバイド(digital divide)という言葉を知った。斎藤環さんによると、ヒキコモリ当事者でネットにアクセスしているのは少数派ということで、当ブログの情報もほとんどの当事者には届いていない、ということになる。
しかし、逆に言えばネット上に当事者たちにとって魅力的な情報やスペースが登場すれば、アクセスを動機づけることができるわけで。


難しいのは、「情報提供」をする人にも生活があるということ。貴重な情報を生産するのはそれ自体が労働だ、と考えれば対価が発生する必要があるし、さもないと提供者は暮らしていけない。ところが、情報提供者がネットで報酬を得ることはきわめて難しいし、そもそも有料では利用者が激減するだろう。
波状言論』第7号には「はてな」代表の近藤淳也さんが登場していて(現在読み中)、地域通貨的に機能するはてなポイントについても触れられている。
ヒキコモリ当事者同士が経済的に交流する方法は何かないものだろうか――これについても、上記の「政治力・交渉力・企画力」の話になるわけですが。


それにしても、「情報を持っていない」というのは、現代では政治的にも経済的にも決定的なウイークポイントですよね・・・・。
ことほどさように、ヒキコモリ当事者には戦略的な意識が欠如してしまっている。4月16日のコメント欄で「naive」という言葉が問題になったが、「脱・ナイーヴ」というのは、ヒキコモリ当事者にとって喫緊の課題ではないだろうか。