行動の原理:希望という形成力

 id:hikilink:20030922にあるリンク先より転載。

 希望というものは生命の形成力以外の何者であるか。
 生命の形成力が希望であるというは、この形成が無からの形成という意味をもっていることに依るであろう。
 希望が無限定なものであるかのように感じられるのは、それが限定する力そのものであるためである。(中略) 形成は断念であるということがゲーテの達した深い形而上学智慧であった。 (以上、三木清『人生論ノート』)

 何一つ決定しない意志は、なんら現実的な意志ではない。無性格な男はいつまでも決断がつかない。このぐずぐずする根拠は、ある種の気持ちの弱さにあることもありうる。それは、規定することで有限性とかかりあい、自分に一つの制限をおき、無限性をすてるのであると知っており、だが自分の意図する全体を断念したくはない気持である。そうした気持は、たといなにか美しい気持であるつもりであっても、死んだものである。
 大事を欲するならば、おのれを制限し得なくてはならない、とゲーテは言っている。どんなに辛かろうとも、人間はただ決定することによってのみ現実の中へ踏み入るのである。何しろ惰性というやつは、自分の中で思いを抱き暖めて、その中で何か普遍的な可能性を自分の中で保持し、そこから外へ出ようとはしないからである。だが可能性はまだ現実性ではない。自分を確信している意志なればこそ、規定されたものの中でもなお。自分を失わないのである。(ヘーゲル『法の哲学』)

 形成を駆動する快感の糸が必要だ。参加意欲をそそるもの。「参加しろ」ではなく、やってみせて誘惑すること。