求めているから武装して

 id:hikilink:20030921と昨日の僕の日記から。
 ひきこもりの男性は、「人間嫌い」であるのに「女ほしい」という。「女は人間じゃない」と言っているみたい。「人間と関わるのは嫌だ」と言いながら、「異性との関係をこうしたい」というものすごく電圧の高い幻想を持っている。実際に女性と関わってみればすぐに分かるが、女性はやはり女性である前に人間で、こちらの幻想になどまったく従ってくれない。こちらはものすごく求めているのに常に拒絶してくる存在が女性で、その「求めているのに拒絶された」傷つき(性的な拒絶はとくに激しい傷を生む)への恐怖から、こちらも過度に硬直して拒絶的になったりする。視野が引きつって固まる。もはや戯れることができない。
 意識のバリアーを解いて相手と自由に戯れてみること、そういうことができないということと、「文章を読むことができない」「自分の状況に介入的に関わることができない」ことは同じではないか。
 対象と自由に戯れることができない状態では、「理論」を口にすることは防衛機制でしかない。考えれば考えるほど対象との距離は遠のく。というか遠のけるために考える。
 意識の閉鎖的な硬直は、どうも言葉でしか武装解除できないように感じる。ことばの作業の重要性を思う。