2007-07-01から1ヶ月間の記事一覧

遵法の強制力と、脱法的倫理の受傷性

実定法に従うだけの形式的な遵法精神が、パブリックな公正さの観点からも、私的な欲望の観点からも維持できないとすれば、検討される必要があるのは、「脱法的な公正さ」だろう。(そんなものがあり得るのか、あり得るとしたらどのようなものか。) なんらか…

自己を特権化する「当事者ナルシシズム」と、支援者の政治的アリバイ

「自分は○○の当事者だから、特権的に扱われる権利があるんだ」というたぐいの当事者ナルシシズムは、単なる交渉主体としての屹立以上の権限が自分にあると思い込んでいる。しかし当事者性とは、努力のフレームを策定する反撃にすぎない*1。 自己分析もなしに…

交渉主体として、自治的・脱法的に介入すること

それぞれの批判的思想の要点は、どのようなスタイルで脱法的(脱制度的)取り組みを奨励しているかで整理できる。 計算の不可能性に向かう、脱構築という正義(デリダ) 欲望の道に譲歩しないことを勧めるラカン派精神分析 英雄的な欲望の範例としてラカンが…

 脱法的な倫理的取り組みとしての、「関係当事者として」

要旨 当事者性の強調は、単なる制度順応とは別の仕方で――脱法的に――「自分の問題に取り組む」ということ。しかしそれは、交渉関係の前提を整備することにすぎない。何かの事案についての当事者性は、万能の主張権限や特権ではない。▼その取り組みは、倫理的…

「家族の契約化」

「『家族法における契約化』をめぐる一考察──社会的に承認された契約類型としての婚姻──」と題された大村敦志東京大学教授の報告は、2003年12月に行われたマティ教授の報告と内容的に呼応するものである。「家族の契約化」という概念そのものがフランス法の…

ひきこもり支援のサービス契約

ひきこもりの「支援」では、(1)本人、(2)親、(3)支援者 の三者で、思惑や立場がよくわからない。そもそも、本人は訪問などの支援サービスを望んでおらず、親が支援者に頼んだだけということも多い。そうすると、そのサービス契約は、「親と支援者の間…

ナウル共和国

『世界の果てまでイッテQ!』「ナウル共和国」(6月24日OA) 資料によると、ナウルは20年前までアメリカや日本を押さえて世界で一番のお金持ち国家! なんと医療費、学費、税金などがすべてタダという夢のような国だったというのだ。 しかし、現在はその見…

斎藤環さんのブログ

ご本人からのメールで開設を知りました。 http://d.hatena.ne.jp/pentaxx/ 過去の文章や告知を一挙に公開されたそうです。 【追記】: なんだか新しい記号が小さく見えたので「なんじゃこりゃ?」とクリックしてたら、星がいっぱいついた。 消せないらしい(…

「お人よしでいればいい」と思っているのは傲慢だ。

戦術的思考が自分には免除されると思っている。 依存がある。 「お人よしでいなさい」という、自他の同調圧力に負けている。

法学や実定法の学習に、臨床心理的効果がある。

社会学の学習にそういう効果があり得るように。 (逆に、臨床心理学の勉強が、本人にとって逆効果になることがある。) 資格取得とは別に、「心の健康のための法学」という理解や取り組みがあってもいいと思う。

人材としての関係当事者

7月8日、小倉(福岡県北九州市)のイベントにお邪魔。 ひきこもりは、既存の学問や社会制度が想定していない状態像であるため、取り組んだ方がいちいちパイオニアとして「自分で」考えるしかなくなる。そういうことをやってきた方々は、初対面でもいきなりコ…