「思い」という抑圧

 「大川小の校舎を残したい」
 そんな思いから、

 こう思いを明かした。

 強い思いが伝わる内容となっていた。



「思い」という語は、そういう語でまとめる自分の態度が生んでしまう問題を無視する。(「当事者の思いに寄り添っているのだから、無敵の正義を担っている」と思い込む傲慢さ)*1


耳目を集めるフックとして、「子供」「当事者」を前面に立てる危うさ。
私自身もつい、こういう態度に流れる。
しかしそれは、必要な分析生成をかえって抑圧する危険を伴う。



*1:「ひきこもり」に関する池上正樹氏の記事は、つねにこのスタイルを反復している。