必要な問題意識と、業績の問題意識

事態改善のためには耳目を集めなければならないとして、
しかしいつの間にか、注目を集める動きが自己目的化する。


ジャーナリストもアーティストも、一時的に耳目が集まれば自分の業績になる。
しかしそれは、事態を改善することとは(ひとまず)別の動きであるはず。
下手をすると、ジャーナリスト本人、アーティスト本人の都合が優先される。


業績のロジックが独りよがりな暴走をするのは、医師や学者も同じ。
そして「当事者」も。*1


承認をめぐる環境が、たんに身勝手なだけの「問題」を作ってしまう。
詰め将棋のようにそれを解いていれば、「問題に取り組んでいる」ことになる。
規範言説の暴力も、ここにある。



*1:多くの報道は、深刻さを強調する感情論やセンセーショナリズムに終わり、その人を含む集合的事情は改善されない。注目される「当事者」も、メディアに消費されて終わる。