無時間的な理論は、時間的な技法の下位にある。これは人類史的な課題だ。

無時間的な言説(科学・理論)だけでいいなら、そこには自分の話をする余地も、必要もない。

時間の要因を織り込む必要に迫られるからこそ、自分の話をする必要が出てくる。

特殊な労働条件としての《自分》。

各種言説がメタ的・無時間的な理論に閉じることの弊害。いっぽうで私たちの生は、どこまで行っても時間的でしかあり得ない。ならば時間ゆえに生じる問題を、理論は扱えない。無時間的理論だけを前提に考えることは、むしろ弊害を生む。

生を無時間的な理論言説に監禁してはならない。これは規範ではなく、技法上の要請。