制度的状況それ自体の治療・支援

国府(こうのだい)病院のHPに、「ひきこもりの評価・支援に関するガイドラインがUPされています。 これは今後、行政系支援の基本指針となるはずです。
http://www.ncgmkohnodai.go.jp/pdf/jidouseishin/
ここには、硬直した主観性を内在的に主題化したり、労働や政治との関係を考察したりといった内容は記されていません。


このガイドラインに伴う状況そのものを、《活用できる資源》として検証し*1、取り組みを続けていくよりほかないと思います。


制度的事業がこういう事情にあるなら、それ自体を治療し、支援していくべきです。――この表現を皮肉ではなく理解するところに、私の努力趣旨があります。


「支援」は、一方的に支持することではないし、治療されるべきは、個人の主観性を含んだ制度的な流れそのものであるはず。


社会を《治療/支援》するという文脈に、ひきこもる本人にも合流してもらう。
資格を取るかどうかとは別の意味で、いわばソーシャル・ワーク*2の担い手を増やすような事業でなければ、社会そのもののパターンを硬直させたまま

  • ひきこもる人を
    • 異常視して「復帰しろ」と命令するか、
    • 特権視していつまでもお客さん待遇にするか、

そのいずれかになる。
これでは、合流作法そのものが主題になっていません。



【メモ】: 製作者一覧

厚生労働科学研究費補助金こころの健康科学研究事業
思春期のひきこもりをもたらす精神科疾患の実態把握と精神医学的治療・援助システムの構築に関する研究(H19-こころ-一般-010)」(PDF)




*1:単に言いなりになるのではなく、こうした方針を伴う状況そのものを対象化し、素材にする。

*2:既存のソーシャル・ワーク思想が、ここで記しているような趣旨を持つかは別の問題です。 社会福祉士等の教科書や関連書を見るかぎり、主観性の硬直と制度的パターンを関連付けた記述には行きあいません(むしろ、ソーシャルワークそのものの可能性に気づいていない)。