問題意識に市民権を与える、という支援活動

私には、既存の学問に殉じることが、必要な問題意識の息の根を止めることに見えています。 そこで、一般理論をかこつ社会学とは別の手続きを持つらしいエスノメソドロジーに興味を持ったのですが、それが正しい興味だったかどうか。

現状のひきこもり政策や専門書には、《つながりの作法》という、最も重要な問題設定が記されていません。 だとしたら、何らかの形で手続きを見つけ(あるいは創り)出して、自分の怒りに公的な回路を与える必要がある。――考えてみれば私は、それこそが必要な支援活動なのだと、ずっと考えていたのだと思います。

    • そこで直面したのは、「自分の問題設定に、思想史の中での位置づけを与える」という課題でした。 たとえば人間のカテゴリー処理に抵抗する《動詞形の当事者化》については、《ゲシュタルトの動態化》*1などの概念を咀嚼できていれば、エスノメソドロジーと突き合わせるべき点ももっと明快に整理できたかもしれません。
    • お互いを検証できる繋がり方を生み出すには、単に規範だけではダメで、技術的な条件があると思います。 上で述べたライフログや、それに基づいた「生活のゲーム化」は、未だ SF 的ですが、大きなヒントだと感じています。