固着した場所との付き合い方を変えること(反芻処理)

神戸市立中央図書館に、資料本や判例のコピーに行く。 今さらではあるが、《図書館》という場所に感じ入る。 帰り道、神戸地方裁判所のまわりをぐるりと歩きつつ*1、《裁判所》 《精神病院》 《学校》 という場所を、単に否定するのではなく、制度として受け止めなおそうと試みる。
目の前の即物的な場所。 文字でも勉強するのだけど、心理的な反芻処理(work through*2として。 《裁判所》 《精神病院》 《学校》 という場所は、心理的に固着したままだと思うのだ、多くの人にとって。

横断歩道で信号待ちをしながら、

「《症例》という位置づけと、《判例》という位置づけは、社会的な処理として似てるなぁ」などと考える。 DSMと実定法の比較(文化的・歴史的に形成されたもので、実務には必要でも、妥協だらけ)。
実務には強制力があるが、味もそっけもない(理不尽な暴力性もある)。 考究にはプロセスの果汁があるが、直接的な制度的強制力はない。 研究者たちは、自分たちの成果が強制力に影響を及ぼすことを願っているわけか。



*1:すさまじい事件の判決で、いつもここがTVに映る

*2:旧訳では「徹底操作」(参照) via id:you999:20070916:p2