「あれは良いですよ。ぼーとした隙間がありますから。」

ドゥルーズ/ガタリの現在』p.222より*1

 最近、テレビは見ないですね、料理や旅行やお笑いや、騒がし過ぎるんです。見ていると自分が流されていく気がして恐い。代わりにラジオをよく聴きます。あれは良いですよ。ぼーとした隙間がありますから。

これは統合失調症患者の言葉とのことだが、私が10代から苦しんできた「自分をうまく構成できない」苦しさの感じが、見事に表現されている。 風景も何もかも、「自分が流されていく気がして恐い」。 必死に自分で歯止めをかける*2、それが再帰性という自傷行為になる。
「隙間がある」。 その「すきま」が、主体がものを作り始める居場所となる*3。 (「空気を読め」という場合の「空気」には、隙間がない。)

関係に対する、制作的態度

人間関係も仕事も、「順応」や「操作」ではなく、「制作する」という過程的発想がふさわしい。 その制作はプロセスにあって、ひとつの終着点は、それも素材にすぎない。



*1:三脇康生 「いつも「新しい」精神医療のために」冒頭

*2:鏡像の同一性に歯止めることかもしれない。試行錯誤そのものを、自分のアリバイにすること。

*3:先日触れた「凪(なぎ)」は、この「すきま」のことだ。