機能的な必要としての「現実の構成」

東浩紀氏によれば、規律訓練型から環境管理型に向かう社会において、社会生活は動物化している。
情報社会の思想」より

 情報技術は人間を
 動物的には
 幸せにするが人間的にはあやしい (中略)
 快を増やすが
 自由や世界性の感覚を奪う



「とにかく人間的にならねばならない」というナルシシズムはおかしいが、現状としてどのような苦痛があるかは検討されるべき。 ひきこもりに関連しては、「自分の現実をうまく構成できない」という苦しみが問題になる。


動物的な快でやり過ごすこともできないし、周囲の目線を無視することもできない。 「意識的な生活」の必要が残る以上、自分のいる場所で自分の現実を構成しなおす必要があるのだが(「そうするべきだ」という規範ではなく機能的な必要)、それがうまくいかない。 ▼一人でいても苦痛だが、社会生活の緊張関係に巻き込まれるとさらにどうしようもなくなる。(緊張関係を伴わない社会生活はない)


ここでいう「現実の構成」は、主観的には「欲望の構成」に近づく。 自分の現実=欲望をうまく構成できない人間が大量に出現している。 「父性」や規律訓練を押し付けても、現実はうまく構成できない。


政治力とは、内的事情と外的事情がともに絡んで、「現実を構成する力」といえる。