「死の欲動」 Todestrieb(独) death instinct(英) pulsion de mort(仏)

面白いほどよくわかるフロイトの精神分析―思想界の巨人が遺した20世紀最大の「難解な理論」がスラスラ頭に入る (学校で教えない教科書)』 p.241‐2、立木康介氏の記述より

 「死の欲動」の概念は、フロイトによって、かつての「性欲動」と同じやり方で探求されたわけではなかったので、その構造や機能についてはまだ明らかになっていない部分もあります。 しかし、フロイトは、大雑把にいって、次のような主張を行ないました。 「死の欲動」は、それ自体は生命体の中で沈黙していて、「生の欲動」と結びつかなければ、私たちには感知されません。 けれども、「生の欲動」が生命体を守るために「死の欲動」を外部へ押し出してしまうと、「死の欲動」はたちまち誰の目にも明らかに見えるようになります。 それは、他者への攻撃性(暴力)という形をとるのです。 ところが、他者への攻撃には、当然危険も伴います。 他者が仕返しをしてくるかもしれないし、別の仕方で罰が与えられるかもしれません。 それゆえ、これはとりわけ人間の場合ですが、自我は他者への攻撃を断念して、「死の欲動」を自分のうちに引っ込めるということも覚えねばなりません。 しかし、自我の内部には、この自分のうちに引っ込められた「死の欲動」のエネルギーを蓄積する部分ができ、それがやがて自我から独立して、このエネルギーを使って今度は自我を攻撃するようになります。 この部分のことを、フロイトは「超自我」と名づけました。 「超自我」は、フロイトによって、もともと両親(とりわけ父親)をモデルとして心の中に作られる道徳的な存在として概念化されていましたが、フロイトはここに至って、超自我のエネルギーが、実は「死の欲動」に由来するという考え方を示したのです。
 今日の社会状況の中には、「死の欲動」の存在を裏づけるかのような現象が頻発しています。 それはたんに、凶悪犯罪やテロリズムの増加といったことばかりではありません。 超自我のメカニズムは、鬱病や依存(中毒)といった病理に密接に関係しています。 私たちはいまこそ、「死の欲動」の概念と本気で向かい合わねばならない時代にさしかかっているのではないでしょうか。

依存症、摂食障害鬱病なども視野に入っている。
強力な規範との関係におかれた心的苦痛。

参照:柄谷行人氏の超自我理解

 これまでの見解では、超自我は「外から」到来し内面化されたものである。 つまり、他律的である。 ところが、新たな見解によれば、超自我は、むしろ「内から」生じる。 それは攻撃欲動が自らに向かうことによって形成される。 つまり、超自我は自律的なのである。

引用は、『定本 柄谷行人集〈4〉ネーションと美学』p.73 より。