「ひきこもり本」

書き手は、精神科医であれカウンセラーであれ民間支援者であれ、要するに「思想家」として振る舞うことを余儀なくされている。 親を指導し、「人として生きるとは」みたいな話をいつの間にかしている。 医療枠組みに押し込んで理解することはできないし。 ▼彼らは医師やカウンセラーとしては専門教育を受けただろうが、「思想家」としてはそうではないから、要するに非常に凡庸な「人生論」に終わっていることが多い。 少し社会的な観点から論じる必要があっても、非常に心もとない。
読み手は、「これは思想書なのだ」と思って選択するべきだと思う。 「これは思想的提案をされる本なのだ」と。 ▼医療や薬物も、一定の思想的枠組みにおける選択肢の一つにすぎない*1。 重要なのは、「思想のユーザーになる」ということか。 そのために、思想の主体になる必要がある。





*1:ツールとして役に立つなら、もちろん私も使うつもり。