勤勉な無意味

医療環境を変える―「制度を使った精神療法」の実践と思想』再読中。


Psychothérapie Institutionnelle*1では、ある種の閉所恐怖症が問題になっている。
閉所と言っても、たんに空間的に外に出ても、社会が閉じている。そのままでは監禁される。


息ができる場所は、プロセスとしてしか維持されない。プロセス以外の場所に、息のできる時空は生じない。いわばその時空として、息が成立する。


無意味息をする。「これには意味がある」が支配すると、息ができない。しかし、単なる怠惰も窒息を生む。

4月10日追記

制度を研究するなら、その論じる場じしんが話題にならないとおかしい。制度「について」メタに論じるのでなく、その場の制度をじっさいにやり直し、解きほぐさないと。――それが相互的な治療過程*2になっていなければ、メタな優等生ごっこに逃げている。

無媒介の「癒し」は、かえって抑圧を強める。もとからあった態勢をそのままやり直すだけ。そうではなく、自前の勤勉さが再起動するような体験が要る。《べつの悩み方》にどう気付けるか。

悩み方が間違っているので、頑張ろうとした途端におかしくなる。ここに気づいている臨床家や「ひきこもり経験者」がまったくいない。



*1:「制度における、制度に対する精神療法」 「制度を使った精神療法」 「制度改編派精神療法」 「制度論的精神療法」など、趣旨の説明を含んださまざまな訳語が試みられている(参照1)(参照2)。

*2:固着した疎外がほぐされる場