「動物以下」

ひきこもってる人は、人間的であろうとしすぎるがゆえに、状態像としては「ペット以下=動物以下」になる(ペットなら、まだしも愛玩機能があったものを)。――近代社会では、そう考えるしかないのかもしれない。 ▼それを考えるのが、公共哲学とかだと思う。 弁護できるかどうか。