「都市下層問題研究会」(3月19日)

  • 既存の制度的枠組みから言えば「障害がある」とは言えない*1にもかかわらず社会参加できない引きこもり経験者は、繰り返し人格的な侮辱や差別を受ける。
    • 被差別の経験は、されたほうはずっと苦しむ。 相手の口にした言葉が、あいくちみたいに、ずっとこちらの人格を切り刻む。
    • 職場で「ニート」が話題になったとき、「いや、僕は以前ひきこもってたんですけどね・・・(笑)」と言ったら、自分への周囲の態度が激変した、というケースがあった(伝聞情報、大意)。 はたしてそれは、「どう対応していいかわからない」という周囲の「うろたえ」でしかないのか、それとも明白な差別意識なのか・・・。*2
  • 下地真樹氏の「性的自由と買売春」の話は、売春を「自発的選択なのか、それとも追い詰められた末の窮状なのか」と問い詰める点で、「ひきこもり」と深くモチーフを共有し、非常に参考になった。
    • 「今のままの姿でいる権利」(差別回避)と、そうとはいえ苦痛に満ちた現状から「脱却する権利」(再チャレンジ可能)とを同時に追求するというモチーフは、やはりあらためて重要だと思う。【こちらで引用、岸政彦氏】




*1:impairment なき disability

*2:私自身は、明らかに悪意のある差別にも出会っている。