『「ニート」って言うな! (光文社新書)』内藤パートより

「教育の職業的意義」の向上を徹底して訴えた本田パートに対し、内藤朝雄氏は次のように主張する。

 全体主義とは、教育が社会を埋め尽くす事態をいうのではないでしょうか。(p.114)

 提供されるべきは、教育ではなく、ライフチャンス(とセーフティ・ネット)なのです。(p.215)

私は《教育インフラ》をも「ライフチャンスとセーフティ・ネット」の一環と考えており、本田由紀氏を支持するのも、そうした理由からなのだが・・・。
「個人に帰責するのではなく制度設計を」という内藤氏の趣旨には心から賛同できるが、「ライフチャンスとセーフティ・ネット」*1が具体的にどのような構想であるかが分かりにくい。



*1:たとえば私が「地域通貨」に注目した(『ひきこもり文化論』p.169-175)のは、まさにそうした観点からだった。