反復強迫の実存と、「説教する当事者」

当事者側のロジックが想像的なものでしかないならば、当事者の要求はそれ自体が「マジョリティへの順応要求」にしかならないのではないか。▼それは当事者が「正常な社会人」からされているのと同じ体質の説教を、逆に当事者側からし返すことでしかない。つまり、「怠惰な快感原則に浸るマジョリティ」への、現実原則の観点からの矯正要求。▼私が自分の立場で考えたいと思っているのは、《死の欲動》からの倫理(道徳ではなく)と、それが制度的に何を意味するのか、ではないか。