読者のかたより

日韓ひきこもり会議」の直前だが、興味深い読者メールを頂いた。
許可を得て、以下に実名(と思われる)署名以外の全文を転載する。 【太字・赤字強調は私】

拝啓。


韓国ヒキコモリ会議レポート」、興味深く読ませてもらいました。
ぼくもずっと「ひきこもり」に近い状態で、今でも仕事をしてなくて収入も貯金もないので(1962年生まれです)、「餓死」のテーマは切実な事柄です。
そのなかで、「経済状況や労働環境が、ひきこもりの問題に深く関わっている」という意見には、本当に同感します。 労働や経済の情勢がこれだけ厳しく非人間的になってくると、「ひきこもり」の人が社会と関わるようになるのはどんどん難しくなるし、一方で今や多くの労働者は「ひきこもる代わりに自殺している」とさえ思えるからです。


それはともかくとして、ちょっと韓国の事情についてお話したいと思います。
ぼくは韓国の社会運動関係の人に友だちが居て、以前その関係でソウルにある不登校児の自立を支援する「ハジャセンター*1という所に見学に行ったことがあります。
そこでは、子どもたちが集団生活をする一方で、インターネットなどを使った職業的な支援のようなこともやっています。
その時の印象は、レポートにお書きになられていたように、不登校」という行為が反体制的な主張のように考えられている、ということでした。
これは、反体制運動の伝統の強い国なので、ある程度仕方ないのかもしれませんが、不登校児は全て「学校」という制度に異議を表明するアウトサイダーみたいに考えられている。 つまり、すごく積極的に社会を批判し行動する人たち、というイメージです。 建物の中ではずっと、ピンク・フロイドかなにかの「体制を壊せ!」みたいなイメージビデオが流れてたし。
基本的に不登校の人たちは「制度には適合しないが、社会には常人以上に適合している」と考えられているようなんですね。 だからというか、「集団になじめない人が居る」とか、「積極的な社会的行動をすること自体が苦痛な人も居る」といった意識が、スタッフにはまるでないように思いました。
スタッフに、「ここでの集団生活に馴染めないような不登校児にはどう対処するんですか?」と聞いたら、「今後の課題です」と言ってたけど、今のところそれほど大きな問題と考えてないみたいでした。


それでも面白いのは、この「ハジャセンター」の中心的な指導者の方々が、最近では「脱北者」の社会適合の支援を行なっているということです。 「脱北者」の支援にも色々なスタンスがあるのですが、ここの人たちというのは、今の資本主義の競争原理の社会を批判するという立場から、異なる文化・社会のなかで育ってきた「脱北者」と共に生きられるような社会に韓国を変えて行こうという、オルタナティブなスタンスをとっている。
これは政治的には、前回の韓国の総選挙で躍進した民主労働党(だったかな?)という左翼的な政党があるんですが、そこにコミットしてるような人たちです。
ともかく、ここでは「脱北者」と「不登校児」は、社会を変えていこうというイデオロギーのもとで、よく似た役割を担わされている


そういうイデオロギー的な枠組みで物を考える傾向がすごく強い社会だから、いわば大文字の社会性とか政治的主張と結びつきにくい、集団性とも積極性とも程遠い「ひきこもり」というのは、正直どう位置づけていいのか分からないと思われてるんじゃないのかな?
ぼくも、韓国には何度も行って、個人的なつながりもあるんですが、正直、あの社会の人たちと付き合っていくのは相当しんどいです。 すごく好い人たちなんですけどね。


しかし逆に、「ひきこもり」に適合的な政治とか社会性みたいなものがありうるのかな?
非政治性への志向が強いというのは、「ひきこもり」に限らず日本社会全体の特徴だと思うので嫌なんですが、集団性から切れていてなおかつ社会を変えるために有効な政治性というのがありうるかとなると、分からないですね。


斎藤環さんが著書のなかで触れられていた韓国の「ひきこもり」的な人たち、軍隊を除隊してからなるケースが多いということでしたけれども、これは色んな理由が考えられますね。 軍隊の存在自体も、あの社会の性格を大きく決定してると思うし、とにかく同質性志向の強い社会だから。


たいへん長くなって申し訳ありません。
今日はじめてブログを拝見したのですが、今後も拝読させていただきます。
多方面でのご活躍をお祈りします。
失礼しました。




*1:正式名称「ソウル市青少年職業体験センター」。 「ハジャ」とは韓国語で何かを「やろう」という意味らしい。 【参照1】、 【参照2】、 【参照3