「国民たるもの無条件に…」

スペックと愛の関係は、たぶん「愛国」にも関わる。 「日本の文化や環境(スペック)が好き」だから、「国を愛する」のか。 「日本国民の義務」として、スペックとは無関係に「愛する」のか。


あるいは、「国への愛」という主張自身が、どうも「エゴの表明」にしか見えないこともあって…。
id:anhedonia さんの次の指摘を思い出す。

 いわゆる右翼が言う「社会」や「国」は、いわゆる右翼のその人の「私」の拡張したもので、そのまま「公」になるわけではないのです。