「コミットする/しない」

ニュース*1から考えたことを少し。


僕は拙著の中で、あるいは当ブログでも、(とくに精神科医やカウンセラーの態度に関連して)「思想や理論が生と切り結んでほしい」、「現場の苦痛を冒涜しないでほしい」と言ってきた。「言ってみただけ」のアリバイ作りや「理論ごっこ」ではなく、当事者の苦痛と真剣勝負した理論や技法を示してくれ、と。
これは「専門家」に対して、「当事者の苦痛にコミットしてくれるなら、金のためのやっつけ仕事ではなく、本気で取り組んでほしい」というメッセージだったと思う。いわばユーザー側からの、サービス提供者への「コミット要求」だ。
この話、今でも大事だとは思っているが、いろんな射程というか、危険な要因も含み得ると思うようになった。


今の僕の最大の課題は、「持続していけること」だ。活動や生活がサステイナブル(sustainable)であるということ。ヒキコモリの【当事者/親/支援者】の3者が、各々の事情において、サステイナブルであることの難しさ。それをずっと考えている。

  • 当事者
    • 学校生活や職業生活・社会生活に参加できない。参加しても、精神的・肉体的トラブル、あるいは対人関係などの理由から持続しない。
    • 精神的・経済的負担があまりに大きく、子供への支援を続けていけない。
  • 支援者
    • 民間の支援団体には今のところ公的な補助金が出ない*2ため、料金は高くなりがちだ。ご家族や当人への負担を減らそうとサービス料を過度に低く設定すれば、活動自体を維持していけない。また、精神的ストレスがあまりに強烈であるため、スタッフ自身が潰れてしまうことが多い。

3者それぞれの事情において、「コミットできない」「しても持続できない」という悩みがある。


「文武両道」を説いた三島由紀夫は、フィクションも世界の意味も信じていなかった*3はずだが、フィクショナルな完結願望と「行動へのコミット」から、死なざるを得なくなった。
15歳で初めて尾崎豊『15の夜』を聞いたとき、部分的に共感しながらも、「この人は、自殺するしかなくなるんじゃないか」と思った*4。「そっちに行ったらヤバイよ」と。連想したのが三島由紀夫だった。【4月18日の付記:この箇所の私の記述は、まるで「尾崎豊氏の死因は自殺である」と主張しているかのようで問題ではないか、というご指摘をメールでいただきました。もちろんそのような意図はなく、私自身が15歳時にもった危機的な印象を書き付けただけです。失礼致しました。ご指摘くださったMさん、ありがとうございました。】
これらの固有名詞をブログに書き込む僕自身にも、すでに「コミット」の危険が生じている*5


95年に阪神大震災に被災したとき、日常生活とはまったく違う社会参加の回路を感じた。「社会的なネットワークがすべて崩壊したがゆえに参加できる」感覚。誰のものでもない大気を「自分の肺で吸っている」ような。死と隣り合わせなのだが。
お互いに名前さえ知らない住民同士がいつのまにか助け合った。僕も当たり前のように参加した。当時高い社会的地位にあった多くの人たちは避難先の体育館でボーッとすることしかできず、逆に最も快活に働き回ったのは「プータロー」みたいな人たち*6だったという。
異様に自由なこうした高揚感*7は、ライフラインの復興とともに徐々に消えてゆき、ふたたび窒息的な「機能的日常」が戻ってきた。会社員たちは元気になり、僕のような脱落者たちはまた社会参加できなくなった。


「コミット」には、文化的・経済的・政治的・物理的・など、いろんな形があって、それぞれで参加の回路が違う。


「コミットする」ゆえの問題と、「コミットしない」がゆえの問題と。


僕はもはや現代では、経済的問題さえ解決していればコミットしようがしまいが関係ない、野放しの自由だ、と思っていたのだが、ちがうのだろうか。
僕は「餓死」を問題にしたが、これは逆に言えば「経済的貧困以外に社会参加のモチベーションはない」ということでもある。




・・・・このテーマでは書きたいことがまだまだあるのだが、今日は体力的に限界なのでいずれまた。
つ、つかれた・・・。





*1:イラクで民間の3邦人が人質にとられ、緊張が高まっています。

*2:作業所は、「ヒキコモリ」ではなく「精神障害」という枠組みで申請しなければお金がおりない。

*3:澁澤龍彦などもそういう見解のようだ。ちなみに三島氏の絶筆タイトル『豊饒の海』は、「荒涼たる月世界の水なき海の名」という意味だった。

*4:今頃こんなことを言うのは後出しジャンケンだが、当時本当にそう思った。

*5:以前紹介したドゥルーズの言葉、「他人の幻想に巻き込まれたら終わりだ」は、まさに「コミット」の危険を指し示している。

*6:まさに「脱社会的存在」

*7:災害心理学で「ハネムーン期」というらしい。