アタマの悪い意味

 あらためて考えるに僕は相変わらず「意味」で自分の体や欲望を殺している。「意味」で自分の欲望を刺激しよう、そういうことしか考えていない。自分がいちばん古臭く感じていてやめようやめようと思っていたことなのに。「アタマの悪い粘着」って要するに「意味だけをひたすら追い求める姿勢」のことじゃないのか。
 本を読んでも「それによって自分に起こる変化」や「その読書が自分の努力に与えてくれるヒント」にしか興味がなく、「その読書行為自体の面白さ」をどうしても味わえない。目の前の対象を楽しむのは単なる怠惰だと思っている。あるいは、許されない罪悪。(女性との関係を楽しめない決定的要因はこのあたりにありそうな気がする。)
 対象への没頭に賭けてみようとしているが、これは要するにもはや自分の人生に何も期待しなくなったということでもあるのだ、かつての自分からすれば。僕はこのまま干からびてもうすぐ死ぬ。70歳になっても世界はこのままだしTVは相変わらずの番組編成だし体はもはやボロボロだ。ここ数ヶ月で急速に干からびた僕という肉塊は――などと言ってみても2年前の本からほとんど何も変化していない。僕の言葉は同じところをグルグル回っている。