グァタリと鑑別診断

先日、独り言みたいにして、こんなことを幾つかつぶやいていました。

それにお返事をいただいたわけではないのですが、関連して、
廣瀬浩司氏(参照)のツイートより:


以下、廣瀬さんに向けて

グァタリ解読の先達のご意見として、鮮烈で驚きました。
一点だけ、質問させてください。(ネット上で、ぶしつけな形ですみません。むしろ、私の疑問のメモとして。)


支援・医療の実務においては、診断上の見分け(鑑別診断) が、決定的に重要です。

    • 診断結果によって、保障等の制度的対応は著しく変わってきます。これは、うつ病やひきこもり関連の喫緊テーマです。
    • 「精神病圏のかたに神経症圏むけの対応をすると、かえって病状を悪化させてしまう」という懸念が、複数の医師から出されています。*1



そこで、「ラカン理論は、適切な鑑別診断に有益だ」という議論が、
私が再びラカンに興味を向ける理由になっているのですが(参照)、


むしろ問題の焦点は、DSM をふくめた 《鑑別診断》 の現状です。
恣意的な独断と、決まった後の理不尽な固着が多すぎる。*2


実務の現状からすると、
「診断など、歴史的で差別的な虚妄にすぎない」で終わらせることも、できないと思うのです。
そうすると、ひとまず制度上の慣例や、なし崩しの打算で、「見分ける」しかないか。


グァタリ的な問題意識や実務と、《鑑別診断》の関係について、お考えを伺うことは出来ませんでしょうか。



お忙しいところ、申し訳ありせん。ネット上でなくても、何かのついでや、
「この論文を読め」でも構いませんので*3、お返事をご検討をいただければ幸いです。



*1:統合失調症の場合、早期に薬物を利用しないと、症状の悪化があるようです。また対面型の精神分析自由連想法)については、「精神病圏のかたがやると、状態が悪化する」という危険が指摘されています。

*2:ある事件では、三人の精神科医がそれぞれ、まったく違う鑑定結果を出しました(参照)。また、いちど役割的に固定されると、テコでも動かない感じがある。

*3:廣瀬さんのご論考は、入手可能なものは一通り目を通しました。