素材化としての togetter

twitterツイッター)の細切れのつぶやきをまとめ、一覧して読めるようにするサービスをtogetter(トゥゲッター)といいます。さいきん私はこれをよく編集していて(参照)、発言者の方々ともやり取りをさせて頂きました。
しかしまとめには葛藤がありますし、慎重な配慮が必要です。


あるていど数をご覧になった方は分かると思いますが、togetter は「まとめられる側」にとって、必ずしも楽しいものではありません。 編集者は、忠実な秘書に見えることもあれば、悪意の傍観者のこともある*1。 発言者が怒り出すケースも少なくありません。


私が発言をまとめさせて頂くときは、大まかに次のような趣旨が絡まり合っています。

    • (1)勉強になる。 「まとめること=支持」に近い。
    • (2)内容には賛成しないが、資料や刺激としてストック。
    • (3)「状況ログ」を取っておきたい。Twitter はフロー(流れ)でしかないので、しばらく経つと誰が何を言っていたか、どんな文脈があったか、わからなくなってしまう*2後で検証し、誰もが自分の判断を作るのに役立てられるような、少し解説の付いた資料を作っておきたい。発言者の誰かを崇拝するのではないし、場合によったら全員に反論があるけれど、《議論の状況》そのものが重要と感じる。状況のログに、《素材》という位置づけを与えたい。議論全体を《参照項素材》として、いつでも検証できる状態にしておきたい。



私の活動趣旨に重なって、最も重要なのが(3)です。


発言者はご自分の意図で話されるのですが、その主観的思惑とは別に、ふるまいの全体が、事実としての素材性を持ってしまいます。それがどんな実態だったかは、リアルタイムにはわからない。 《あとになって》、事情の細部への分析が生成したりする*3――その認識の事後性に、しっかりと場所を与えたい。


私が強く望むのは、そういう意味での《素材化》です*4
これは実は、社会参加をめぐる、技法上の立場表明でもあるはずです。

    • 動物的衝動と合理的理性を対立させる図式がよくありますが、《技法》は、その中間にあります。




*1:紛争時の物証として togetter を使っているケースもあります。

*2:とりわけ第三者には

*3:私にとって最も重要な《生成》は、こうした意味での分析の生成であり、これは受動的でありつつ、きわめて真摯な内発性をともないます。

*4:私は自覚的に動き始めて以後、いくつもの失敗やトラブルに苦しみましたが、できればその全てのログを用意し、公正な場所で検証したい。というか、その《素材化》ができる状況をこそつくり出したい。しかし現実には、ヒトの存在論的地位や悪意(cherry picking)によって、《素材化》はほとんどムリな事業です。