ドゥルーズは、ガタリの書記係

ドゥルーズガタリに臨床的意義を見出そうとする@schizoophrenie さんに、大きな励みを頂いています。

まさにこれを、ドゥルーズガタリで考えたい。
アンチ・オイディプス(上)資本主義と分裂症 (河出文庫)』に「schizo-analyse」等の概念を持ち込む必要性は、ドゥルーズではなくガタリにあったはずです。
ドゥルーズは、ガタリの格闘を哲学的素養で清書する、いわば書記係だった。彼らの議論と精神病理学の関係を考えるなら、まずは「ガタリが何に追い詰められたのか」、それをラボルド病院の実務を通じて考察すべきではないでしょうか。書記係をいくら研究しても、議論の必然性は見えてきません。


たとえば、次のような証言があります。 『ドゥルーズとガタリ 交差的評伝』pp.17-18 より*1

 こうして、『アンチ・オイディプス』の記述エクリチュールの配置〕は、ガタリが書いた予備的テクストにドゥルーズが手を入れ、決定稿を仕上げていくというやり方で構成された。ドナティは言う。 「フェリックスガタリがダイアモンドの原石を発見し、自分はそれをカットするのだ、とドゥルーズは言っていました。つまり、フェリックスは自分が書いたテクストをそのままドゥルーズに送り、ドゥルーズがそれを調整していたということです」。
 したがって、彼らの共同作業は、対話によるというよりもテクストの交換というかたちで行なわれたのである。もちろん、彼らは、ドゥルーズが午前中にヴァンセンヌで講義がある毎週火曜日の午後に、ドゥルーズの家で会っていっしょに仕事をするにはしたのだが。また、ときには、ドゥルーズの方からガタリに会いに行ったが、ドゥルーズは狂気に耐えられなかったので、ラボルドを避けて二人は会った。当時の共通の友人がこう語っている。
 「ある日、デュイゾンで、フェリックスガタリ、アルレット、ジルドゥルーズ、私の4人で夕食をしていたら、ラボルドから電話がかかって、誰かが城(ラボルド病院の建物)のチャペルに放火をして森のかなに逃げたと知らせてきたんです。ジルドゥルーズは青ざめ、私は椅子から立ち上がれずにいたのですが、フェリックスは応援を頼んでその男を探しに行きました。そのとき、ジルが私にこう言ったのです。 《どうやったら分裂症患者に耐えられるのかね?》。 彼は狂人を思い描くことも嫌だったのです」。
 Pour l’essentiel, le dispositif d’écriture de L’Anti-Œdipe est ainsi constitué par l’envoi de textes préparatoires écrits par Guattari et que Deleuze retravaille et peaufine en vue de la version finale : « Deleuze disait que Félix était le trouveur de diamants et que lui était le tailleur. Donc il n’avait qu’à lui envoyer les textes comme il les écrivait et que lui les arrangerait, c’est ce qui s’est passé. » Leur réalisation commune passe donc beaucoup plus par l’échange de textes que par le dialogue, même s’ils installent une réunion de travail hebdomadaire chez Deleuze l’après-midi du mardi, jour où ce dernier donne son cours à Vincennes le matin. Aux beaux jours, c’est Deleuze qui vientvoir Guattari, mais à l’écart de la folie qu’il ne supporte pas : « Un jour, on dîne à Dhuizon, Félix, Arlette Donati, Gilles et moi et le téléphone sonne de La Borde, annonçant qu’un type avait foutu le feu à la chapelle du château et qu’il s’était enfui dans les bois. Gilles blêmit, moi je ne bouge pas et Félix fait appel à de l’aide pour retrouver le type. Gilles me dit pendant ce temps : “Comment tu peux supporter les schizos ?” Il ne pouvait pas supporter la vision des fous. » ("Gilles Deleuze, Felix Guattari : Biographie croisée", pp.18-19)

ドゥルーズは、患者さんとの同席すらできなかった、という証言です。
『アンチ・オイディプス』の異様な議論のアクチュアリティが、「ラボルド病院に勤務したガタリ」以外の出所をもち得るでしょうか。



2012年3月27日の【追記】

アンチ・オイディプス草稿

アンチ・オイディプス草稿

ステファン・ナドーによる解説(pp.12-13、強調は引用者)より:

 「分裂症者」ガタリが「博学」ドゥルーズによって「超コード化」される必要があったという考えは、もうひとつの月並みな考え方によって頻繁に引きつがれることになる。それは、ドゥルーズこそがガタリを「生のままの」素材のように必要としたという考えである。しかも『アンチ・オイディプス(上)資本主義と分裂症 (河出文庫)』の文章を「仕上げ」たのがドゥルーズであるという事実は、このような考えを正当化するものであると思われるかもしれない。だが、事態をそのように(ガタリを川上に、ドゥルーズを川下において)捉えることは彼らの仕事の本質的概念を無視することになる。アレンジメント〔agencement〕がそれだ。つまり、『アンチ・オイデイプス』の「父親」をドゥルーズのみに求める者が多いのは、彼らがこの概念を途中で忘れてしまっているからなのである。彼らは、ふたりの友が理論的に展開しただけでなく、その共同の作業のなかで実践することにもなったアレンジメントの脇を通り過ぎてしまっているのだ(いずれにせよ、理論と実践の差異というのは適切なものではない〔・・・〕)。

ガタリが無視される状況への抗議、という主張をふくむ本書編者ですらこう言っていますし、
ドゥルーズガタリの書記係」という本エントリの主張は、関係者の証言を裏切るかもしれません*2
とはいえこういう議論までが、ラボルド病院の実務を徹底的に無視します。


ステファン・ナドーは、ガタリ文献の編者であり、かつ精神科医です。その彼ですら、schizo-analyse とラボルド病院は「全く別のもの」と言ってしまう(参照)。 これでは、概念発生のアクチュアリティはどこにあったというのか。たんに共作すればいいのではなくて、それぞれに独自の切実さがあり、そのうえでのコラボでしょう。たんにぼんやり連帯したって、何も生まれない。
だから実は、ドゥルーズにも彼の《現場》の、つまり「大学で哲学を続けること」そのものの追いつめられた切実さが、あったはず。なぜそういう論じ方をせず、いきなり「agencement」とか言って、軽やかな左翼的概念でごまかしてしまうのか。



2012年5月15日の【追記】

ドゥルーズ記号と事件―1972‐1990年の対話 (河出文庫)』 pp.251-2 と、その原文より:

 とりわけ重要なのは仲介者です。創造とは仲介者のことなのです。仲介者がなければ作品はありえない。人間が仲介者になることもあるし(哲学者にとっては芸術家や科学者、科学者にとっては哲学者や芸術家)、物が仲介者になることもある。 〔・・・・〕 私には自分を表現するために仲介者が必要だし、仲介者のほうも私がいなければけっして自分を表現することができない。仲介者がいるとは思えない場合でも、私たちはかならず大勢で作業を行っているのです。特定の仲介者がいる場合はなおさらです。たとえばフェリックス・ガタリと私は、たがいに相手の仲介者をつとめているのです。
 Ce qui est essentiel, c’est les intercesseurs. La création, c’est les intercesseurs. Sans eux il n’y a pas d’œuvre. Ça peut être des gens --- pour un philosophe, des artistes ou des savants, pour un savants, des philosophes ou des artistes --- mais aussi des choses, des plantes, des animaux même, comme dans Castaneda. 〔・・・・〕 J’ai besoin de mes intercesseurs pour m’exprimer, et eux ne s’exprimeraient jamais sans moi : on travaille toujours à plusieurs, même quand ça ne se voit pas. À plus forte raison quand c’est visible : Félix Guattari et moi, nous sommes intercesseurs l’un de l’autre. (『Pourparlers 1972-1990』p.171)

ここでの話は、ガタリが「分析装置=触媒装置(analyzer=catalyzer)」と言っていた話に近づく(参照)。



*1:改行、強調、〔 〕内は引用者。

*2:亀の歩みですが、私なりに邦訳と原文を見比べる作業を続けています。