あけましておめでとうございます

今年は、単に逸脱するのではなく、かといって、単に順応するのでもなく。
勉強を続けて、言葉としても活動としても、もっと「既存のもの」に交わりたいです。


年齢とともに、排除され、生きる理由がなくなるとともに、どんどん元気になっている気もするので、
公私ともに、少しでもいい方向に変えていきたいです。


本年も、よろしくお願い申し上げます。



年初のメモ

  • 声の臨床と、参加の臨床は分けられない。
    • 人は声のプロセスであり、孤立して元気になれても、参加できるとは限らない。
    • 続けて参加しようとして、声が潰れてしまう。 声がうまく構成できない。
  • 《つながりかた》、「Clinical/Political Social Work」などが焦点。
    • 実存の言い訳を人文的にこねくり回すのではなく、集団の技法が要る*1
    • 臨床性と政治性が切り離せないことを自覚した努力。
    • 対人支援業界の、異様な閉鎖性。 ⇒体質改善は、内部だけの問題ではない。
  • 集団的意思決定は、参加臨床のコア。
    • 「人間不信・対人恐怖」 「いじめ・いやがらせ」 「怒り・脅迫」 「ルサンチマン」etc...――考えてみれば、集団的意思決定の問題。
    • 「人間外し」の方向と、それでも残る「話し合わざるを得ない」の契機(参照)。
    • 専門概念は、意思決定のツールの一つ。 「概念の創造」や「ループ効果」再考。
  • 臨床家を選ぶことは、思想を選ぶことに等しい。 逆にいうと、思想を選ぶことには、臨床的な負荷がある。
    • 間違った思想は、人を不当に苦しめる。 結論だけでなく、声のプロセスとしても。
    • 誰かの居直りは、ほかの誰かを追い詰める。 「苦痛緩和」という批判趣旨。
  • 嗜癖・差別・ひきこもりは、同時に扱わなければならない。
    • 「○○だからやめる」のではなく、単に「形式的に」やめる。 「形式的禁止」という、決定的な方法論。
    • 現代では、正当化の努力自体が嗜癖化している*2
    • 「声の臨床」は、単独ではできない。 声の生態は、孤立したものではないから。




*1:それがなければ、人とお金を「利用する」「支配する」活動にしかならない。

*2:「宗教は民衆のアヘンである」(マルクス)ではなく、「嗜癖は万人の宗教システム」というべき。