思惑と責任のからみ合い

何かの「当事者」として発言する人は、商業主義やイデオロギー、個人的な功名心などに、利用される危険がある。使命感からカミングアウトしたはずが、私的利害や党派的思惑に巻き込まれただけ、という…。
体験談を求められたり、カミングアウトを試みたりするときは、どうか注意してください。そして逆に、ご自分の発言が帯びてしまう政治性にも、注意すべきだと思う。そのつもりがなくても、「代表性」のようなものが出てきてしまう。
こういう分析が「関係当事者」に必要だし、その分析を生きることの臨床性を、絶対に無視するべきではない。