制度に絡む実存

メタ的に「制度とは」を論じると同時に、具体的に目の前の制度と付き合ってそこで揉みくちゃになって生きていかねばならないのだ、どんな時代になろうとも。制度をメタに論じるだけで、論じている自分自身の制度との付き合い方は優等生的でしかないというのでは、自分で臨床を生きることにならない。
昨今の知識人は、メタ理論と、その対極にある「性愛」「友達」を言うだけで、目の前で生きられる制度と実存の解離にぜんぜん取り組まない。メタ的に「象徴界の弱体化」を論じ、身近ではベタな交友関係があるだけ。身近な関係で生きられる中仕切りこそが言葉の仕事場だろうに。 なんで目の前の解離に取り組まないのか。