「ナルシストの遊び場」の暴力性

  • アカデミズムへの所属で在野を見下すのは論外だが、在野にいるのに、アカデミズムでナルシシズムを保つ人もどうしようもない。 ▼「言説としてはアカデミズムを参照しつつ、みずからの現場分析を続けている」が必要だ。 所属やひきこもりとは関係なく。
  • お互いの関係を調整するのに、「ナルシシズムを守ってあげる」以外に規範がない。 お互いにチヤホヤする場面では、誰も分析を口にできなくなる。 批評的分析こそが悪とされる。 ▼商品的差異化で自分を意味づけるような、消費主義と順応主義の倒錯ばかり。 お互いを物象化する(利用する)関係しかない。
  • 関係のディテールへの分析は排除される。 なぜなら、それは役割同一的なナルシシズムを毀損するから。 むしろ、役割同一的ナルシシズムを守ったままで相手を利用してやったほうが喜ぶ。 なんという幼児性。
  • ナルシストである以外の存在の仕方を許されない。 存在への全面肯定は、言葉への禁圧になる。 (言葉の capability を損ねる)