「前衛党」と「反革命」?

東京シューレによる貴戸批判は、「見解」不登校当事者の手記が登場していることからも分かるとおり、「当事者益」を根拠としている。しかし奇妙なことに、貴戸理恵氏自身が不登校経験の当事者であるから、シューレは、「不登校当事者の一人を徹底的に追い詰め、糾弾している」ことになる。また、「見解」に登場した2名と同じく貴戸氏の取材対象であり、ブログ上や共著内で貴戸氏の発言を支持している常野雄次郎id:toled)氏については、シューレや奥地圭子氏はいまだ言及していない*1。つまり東京シューレにとっては、たとえ相手が「当事者」であっても、当事者全体の利益を代表しているとされるシューレに敵対している時点で、「当事者の敵」であると見なされることになる。▼ここで、「労働者の利益を代表する前衛党」と、その党による労働者への「“自己批判”の強要」*2という歴史を思い出さずにいることは難しい。≪当事者≫という理念的参照項は、運動遂行と糾弾の構図において、かつての≪労働者(プロレタリア)≫という理念的ポジションに重なっている。
貴戸氏を攻撃する多くの人々(当事者を含む)は、貴戸氏が「東大院生である」という事実に執拗に絡む。「不登校こそ正しい」というイデオロギー下では、既存の教育制度に、しかもその牙城と目される「東京大学」に首尾よく帰属している時点で、「裏切り者」扱いされる。▼やはりここでも、「資本主義の犬」という古典的左翼用語を思い出す。貴戸氏は、東京シューレやそれに同意する人たちによって、事実上「反革命」扱いされている。しかしもちろん、貴戸氏が掬い上げている「当事者益」は、貴戸氏ひとりのものではない。*3



*1:貴戸氏が「相手にされ」、常野氏がそうならないのは、貴戸氏がアカデミズム(の牙城と目される東大)にいるからだろう。同じことを「弱い当事者」が主張しても、それは単に黙殺される。▼貴戸氏の主張に意義を感じる私のような者にとっては、彼女がアカデミズム(東大)にいるのはたいへん喜ばしいことだ。(くだらないことを主張されたらたまらないが。)

*2:最悪形は「粛清」

*3:ここで思い出すのは「内ゲバ」だ。ああ・・・