自滅的自発性への社会的処遇

上記引用部分に続くご指摘

 複数の研究は大腸癌の13-25%にうつ病が合併することを示している。 匿名の女医さんは「症状から見てどうやら下部消化管に癌があるな…しかも進行してそう」(id:ueyamakzk:20041222#p1)とまで気づいていながら、患者の決断困難がうつ病の症状に起因する可能性に気づかず、(気づいていないのであたりまえだが)その可能性を踏まえた上での対応をとることができず、半年後に患者は自殺した。 医者には次があるが(id:hotsuma:20041226#p1)、命を失った患者には次がない。 だから、出来る限りのことをしなければならない。



この件に関し、当該メールのご本人からあらためてメールを頂きましたので、許可を得てこちらに転載します。 【太字・赤字強調は私】

 消化管悪性腫瘍の診断は思いこみじゃありません。 後の検査結果で腫瘍マーカーの異常高値は確認しました。 もし癌が見つからなかったとしても、鬱病も危機的なら、Hb6.0*1を切っている重症貧血も相当に危機的なわけで、検査して止血して造血剤使うなり、輸血するなりの処置は早急に必要だったけど、本人にすべて断られたわけです。
 この人が鬱病という診断で精神科に通っているのは、知ってました。 薬も処方もされていたし。 私の勤務していた病院に精神科はありませんでしたから、別の病院でしたが。 私のいた病院にも血圧の薬を処方されに通ってました。 どちらもかなりの不定期受診だったようですが。
 しかも、私の勤務する病院受診はそれっきりでしたが、その患者はどうやらその後、かかりつけの精神科に数回通って、点滴をしてもらっていたようです。 で、その際にも、かなり危険な状態だから、絶対内科か外科の病院に行くようにと、何度も繰り返し精神科のドクターから言われていたようです。 別の病院の内科にもかかって、私の言ったことと同じようなことを言われて、やはりそのまま帰っちゃったこともあったみたいです。(田舎の小さい市なんで、医者同士のネットワークで情報が出てくるんです)
 問題は、病名がどっちにせよ、生命の危険にある状態を、私からも、精神科の医師からも告げられて、それでもすべての診療、入院、処方を拒否したところです。 それとも、id:hotsuma 先生の病院では、自力で歩いて一人で受診した患者が入院、治療拒否しても、強制的に入院させて治療できるんでしょうか。 内科ではそれは不可能です。 我々にそこまでの権力も強制力もありません。 あくまで、患者が自主的に治療を望んで、本人の同意に基づいて診療契約を結んだ場合にのみ、治療行為が許されるのです。(未成年者、禁治産者の場合は保護者の意向が反映されます。また意識不明で運ばれてきた患者は、病院に受診した時点で救命されたい意志があると見なします。)  治療拒否の患者の治療ができないというのは、医者、医療サイドの限界だと認識しています。



id:hotsuma さんは、医者は「出来る限りのことをしなければならない」とおっしゃるわけで、私はそれにはまったく同意するのですが、その「出来る限りのこと」は、「本人の同意に基づいて診療契約を結んだ場合」にしかできない・・・・。【極端な話、「本人の意志に背いて」治療行為を行ない、それを本人が告訴した場合、法的処罰の対象になり得るのでしょうか?】
精神科におけるいわゆる「措置入院(involuntary admission)*2は、それほどポピュラーかつ簡単な手続きなのでしょうか。 私の仄聞したところでは、精神科の閉鎖病棟の中にも「公衆電話」および電話帳があり、本人が人権擁護機関等に連絡すれば出られる、とか・・・・*3


本人の生活行動が破綻している場合、「延命」だけを考えるなら、強制的に入院させ、ベッドに縛り付けて「健康管理」をしたほうがいい。 本人の自発行動は、事実上本人を破滅に向かわせるのだから、強制的な入院や、あるいは「生きることは無条件に素晴らしい!」と思い込めるような洗脳=矯正的なプログラムの強制こそが本人の「延命」に役立つことになる。 → まさに「人権尊重」か、「人命尊重」かという問題です。


ここでは、「本人自身が延命的・社会順応的支援を望まない」という、引きこもり問題において最も決定的な要因が問われていると思うのです。 本人自身の自発性が、退却的であったり、自滅的であったりする場合、その自発意思は尊重されるべきなのか。 それとも、法や憲法を踏み越える危険を冒してでも、「生き延びてもらうための」援助的対応を目指すべきなのか。【長いスパンで言えば、医療的対応だけでなく、「就労に向けての訓練」を強制するのかどうか、という問いも含まれると思います。】


現行法では、終末期医療以外の現場で「本人の同意に基づいて」医師が安楽死に手を貸した場合、それがどんなに「当人に益する」場合であっても、自殺幇助に問われるのだと思います。 つまり、患者本人にも、援助者たる医師にも、「死を目指す」かたちで益を目指す制度的自由は与えられていない。 どんなに残酷でも、「生きて現実に直面せよ」と命令されている。 → 本人の自発的意思が、「生きなさい!」という制度命令の枠外にあるとき、その人の「死にたい」という自発性は公的な手続きに乗らず、極めてむごたらしい死に方になるのではないか。 あるいは、「生きたくもない人を生き延びさせる」という、一種の残虐行為に近いプロセスに、(税金を「湯水のように」消費して)公的に手を貸すことになるのではないか。


その辺りのジレンマを、問題にしたかったのですが・・・・。





*1:ヘモグロビン、でしょうか。 こちらによると男性の基準値は「14〜18」。 こちらには、「Hb6.0以下では輸血を行う」という記述があります。

*2:まさに「非・自発的入院」

*3:そもそも自傷他害傾向の強い患者は、病院側でも受け容れを渋ることがある、という声も・・・。 単にたちの悪い風評なのでしょうか。