≪根拠なき出会い≫

生への能動性を失った人間は、どうしても「天職」を求める ―― すなわち「行動を起こす前に、自分のモチベーションを準備したい」と考える。 考えて考えて、でもけっきょく動かない。
そのときに必要なのは、「考え抜いて自分の根拠を作る」ことではなく、「根拠なく動いてみてとりあえず出会ってみる」、すなわち≪根拠なき出会い≫である、というのが、先日お会いした樋口明彦氏のご指摘でした。 「主体性は、出会いのあとに事後的に創られる」という氏の説、目が離せません。


ただ難しいのは、ひきこもり当事者にとっては、「根拠なき出会い」と聞いて真っ先に思い浮かべるのは「ネガティヴな出会い」だということ。 イジメ、犯罪、etc....
私の知人のお姉さんは、勇敢に一人暮らしを始めて殺されてしまった。
「殺されてでもいいから家を出る」とか、―― ああ、やっぱり軍事的比喩になってしまう。