『「ひきこもり」の男性は、と言う書き出しで書かれていますが』

 僕があの文章を書いたときには、ある当事者の矛盾した発言――「人とつきあうのは嫌だが、カノジョは欲しい」――を聞いて、自分の中にもありがちな傾向として考えてみた、ということでしょうか。ただしそれがどこまで普遍性を持つか。僕は「異性愛の男性ひきこもり当事者」として内在的に語れないかと思ったのですが、当事者といっても個人の性癖は様々だし、引きこもりには同性愛の人もいるだろうし、女性の人、あるいは引きこもり以外の人にも当てはまる問題かもしれないし。僕としては、取りあえず自分が刺激を受けた発言をきっかけに、大事な問題なんじゃないかと思って考えてみた、という感じです。
 性について論ずるのはとても難しい。外在的に一般論を語っても(たとえば僕が女性の欲望について語っても)憶測の域を出ないし*1、かといって自分を当事者として語ろうとすると、普遍的で一般的な話をしようとしているのにいつの間にか自分の個人的な話をしてしまっていたりする。そもそも、自分を当事者として語ったってどこまで普遍性があるか分からないしね・・・・。――って、実はこれ、そのまま「ひきこもり」について論じようとするときに感じるジレンマでもあるんだけど。*2自分に関係のあるところで、自分が大事だと思う話をするしかない、というところでしょうか。(と言っても、実はかなり普遍的なテーマだと思うし、以前jounoさんが指摘してくれたみたいに、普遍性を目指して語るのでないと意味ないですから・・・・。)



*1:ジャック・ラカンみたいに極端に抽象化して論ずればまた違うのかもしれないけど。

*2:僕の言っていることが「違う」と思う人は、ぜひ自分で語ってほしいな。