一人ひとりが、誰かの労働条件

自分がどんな考え方をし、何をするかが、誰かにとっての客体的労働条件にあたる。 ひきこもっている本人も、家族にとっての労働条件だ。*1
既存の左翼言説は、個人を「労働力商品(主体的労働力)」としか見ない。 そう語っている論者自身が、誰かの労働条件なのだ。



*1:もっと突き詰めて言えば、自分自身の状態そのものが「客体的労働条件」だ。 現在の自分は、自分や他人の「労働の成果」にあたる。