ひきこもりの共同体

 斎藤環氏は、「ひきこもる人たちの緩い共同体をどうやったら作れるかが今後の課題です」と語っているhttp://www.mammo.tv/interview/archives/no017.html。同時に「おたく共同体のあり方には、ひきこもりを救済するヒントがある」。しかしひきこもりには、オタクの人たちにあるような「執着の対象」もなければ、そこから生まれてきた文化財もない。共同体はとても作りにくい。
 ひきこもり当事者としてそういう「執着のネタ」を作ることに成功している例外的な人物として、滝本竜彦氏がいる。幾人かの当事者から彼のファンだと聞かされて、僕も読んでみたのだが、残念ながらハマれなかった。オタクの人の趣味趣向も細分化しているのだから、これは仕方ない。「ハマれる」ネタを作る人がこれからもっと多種多様に出てくるべきなんだろう。作品を生み出す努力を実際にやった人(そして人を魅惑することにある程度成功した人)を罵倒するのではなく、自分自身が何かを作り出してみせること。
 「ひきこもりのために」というような空疎なスローガンはほとんど流通しない。人が魅惑されるものが、なんらかの「自分にとっての必然性」であるとすれば、そういう「必然性」を生み出してみせることが、今後の仕事ということになるのだろう。