本番

 やむを得ぬひきこもり状態においては、全てのことが宙吊りになっている。自分が生きたいのかどうだか、人と付き合っていくとはどうなのか、人の集団はどのように成り立つのか、社会はどんなことを動因にして動いているのか、・・・こんなこと考えてていいのか、――ギリギリだけど、せっかく全てを宙吊りにしたのだから、そこから「一から」自分の手作業で考えていく、っていうのはアリなんじゃないかと思う。ただ、やっぱり・・・人とつながっていく方策だとか、どうやって生活費を稼ぎ出すのかとか、そういう基本的なところをクリアしないと、やっぱあまりにも余裕なさすぎ。衣食住足りてやっと考えるを知る。
 で、しかし、そうやって少しずつ動き出そうとしても、あるいは主観的にいくら「凍りついた時間」の中に閉じこもろうとしても、時間はあまりにも素っ気なく無慈悲で、容赦なく肉体を老いさせてゆき、僕から可能性をうばってゆく。「お前はもう死んでいる」っていう言葉は、実はドロップアウトした人間には生々しすぎる・・・。「君は『自分はまだまだ』って思ってるのかもしれないけど、残念だね、社会的にはとっくに死んでるんだよ。再起の可能性はすでに絶たれているんだ。ご愁傷さま」
 「ボクの人生の本番はこれからだ」という思い込み自体がすでに本番だし。って考えるとゾッとする。
 じゃ、ホンバンいきます。