現象の鮮度

  • 物質反応が反復されるのとは少しだけ違う何かが生じている。 過剰に神秘化するのも、過剰に粗雑に扱うのも間違い。
  • 素粒子にも寿命があるらしい(参照)。 素粒子の反復だけなら、どれほど良かったことか(条件に閉じ込められたこの生を肯定できるか)。
  • 現象は、「この野菜は新しい/腐っている」とは別のレベルで、永遠の《鮮度》を保っている*1。 いわば鮮度論的差異*2。 「つくりなおす」作業だけが、新鮮さの表面に至りつく*3
  • 絶対的課題があれば。 しかし現世にはない。(ではどこに?)




*1:現象は現象であることをやめない。 狂信的鮮度が永遠に続く。

*2:ハイデガーの議論では、《存在するもの(Seiendes)》 と 《あるということ(Sein)》 を分け、この違いを「存在論的差異Ontologische Differenz)」と呼ぶ。 それと同様に私はここで、古くなったり新しかったりする《存在するもの》と、そもそも古いとか新しいとかいう現象そのものが古びることはないということとを分けて論じたかった。 現象が新鮮さを維持しているというのは非常に残酷なことだ。

*3:三脇康生 「いつも《新しい》精神医療のために」(『ドゥルーズ/ガタリの現在』pp.222-244)等を参照。 しかし人はたいてい、新鮮さよりは安易さを選ぶ。