「神戸ルミナリエ」

一人で行ってきました。 最近はほぼ毎年。
人ゴミは苦手で、初詣とかは行きたくない感じですが、


ルミナリエは「鎮魂」だし、最後の公園は、
「天井のない教会」みたいです。


あそこにいると、少し人にやさしい気持ちになるというか。

    • 【12月14日追記】: 実はこのとき、かなり強烈に、三次元の感覚が戻ってきていた。思春期以後、私はずっと縮こまったような、前後左右の分からない、世界の広がりの感じられない締めつけを生きているが(三半規管などとは別の、人文的委縮)、さいきん、小学校の時に体験していたような、「自分がたしかに世界に存在している」という、あの広がりのある、手触りのある世界感覚が味わえる瞬間が出てきている。 ▼教科書的にいえば、離人症の項目に書いてあるようなこと。私が素材化とかプロセスと言っているのは、そういうやり方でしか問題にできない苦痛があるということ。 メタ言説と関係実態の解離は、単に政治的にではなく、臨床的にまずい。精神が従わされる労働の枠組みが、精神を監禁し*1、私たちの体験できる現実を締め付けている。メタ言説は、関係実態に服従したあとの姿になっている。


*1:「雇用労働がないから枠組みがない」ということではないし、「働きたくない」ということでもない。