自他への臨床活動として
ひきこもり支援に関わる資格としては、医師(精神科医)、臨床心理士*1のほかに、保健師、社会福祉士(Social Worker)、精神保健福祉士(PSW)といった国家資格があります*2。 しかし、最初から「支援」を標榜する肩書きというのは・・・。 それは、単に社会の傀儡資格ではないのか*3。
とはいえ逆にいうと、無策に放置するわけにもいかないはずです。 「無理に引きずり出すのか、全面受容するのか」といったイデオロギー対立の20年を経て、量的にも質的にもあまりに深刻な状況が明らかになった現在は、施策や手続きを整備すべき段階に来ている。 一つひとつの論点も、「それはマクロには(法や資格に関しては)どういう変化を要求するのか」を視野に入れるべきです。
これは取りも直さず、「これからどういう仕事を創っていけば良いのか」という問いでもあります。 ひきこもりや無職に苦しむ場合、「自分はこれからどうするのか」ということと、「自分のような人のためには何が必要なのか」については、截然と分けることができません。――というか、むしろそれを分けずに考えるところにヒントがあります。
あなたが「支援する側」なら、どうするか。 パブリックな提言である以上、単に文句を言ったり、「とにかく助けてくれ」みたいな話はできません。 あくまで苦しんでいる内側から、公正かつ公共的な問題提起を練り上げること。 そういうレベルをしっかり共有できれば、「支援する側なのか、される側なのか」といった役割区分は、あまり意味を持たないはずです。 支援者や家族も、働いている人も、ご自分の状況で苦しんでいるのですから。
不登校や引きこもりに悩む方は、「すべてを解決するメタ理論」のような回答を求めてしまいがちです。 しかし多くの場合、その議論じたいが有害になる*4。 よく考えてみてほしいのですが、自分や周囲の苦痛緩和に必要なのは、居丈高なメタ理論ではなく、多角的な検討であり、葛藤状況そのものを共有してもらえるような呼びかけではないでしょうか。 具体的な着手とメタ分析とを、つねに往復すること。 ▼ベタに「メタな認識」に居直る人は、難しい議論をしていても、頭が悪い。 それ自体が固着であり、政治的にも正当化できません。――それは、ひきこもる側だけの問題でもないはずです。 どうして我々はこれほど、お互いへの無力感で苦しんでいるのか。 これは、「耳を傾けない」という政治的実情への処方箋の話でもあります。(ひきこもる側自身が、「人の話に耳を傾けない」という政治的黙殺を敢行している。とはいえそれは強迫的な固着でしかないように、一般の政治的黙殺も、悪意に基づくというよりは、小心さによる固着かもしれない。)