【2月5日】 宇野邦一 × 勅使川原三郎 【参照】

5日の13時から、宇野氏の講義、勅使川原氏のワークショップ、宇野氏と勅使川原氏の対談イベントに続けて参加。 宇野氏の言葉とのつき合い方、勅使川原氏の居ずまいから影響を受ける*1


私たちは時間「のなかで」生きている(という言い方を日常的にする)が、むしろ身体を時間的に生きている。 社会からの要請で知覚を狭め、時計通りに生きるクロノスの時間。 タガが外れ、内発的分節の「器官なき身体」が生きられる「アイオン」の時間。 宇野氏は黒板に「時間=身体」と記し、「器官なき身体とアイオンを焦点に、時間と身体の関係を書かねばならない」というのだが、これは社会に参加できない身体を論じるための核心的論点に思える。 既存の支援論は、人をクロノスの時間に巻き込むことしか考えていない。

時間身体
クロノス感覚運動的*2
アイオン器官なき身体

勅使川原氏は、彼のいる場所だけ自意識が楽になる感じがある。 ワークショップでは、1時間ほどずっと飛びはね続けた*3。 音楽や掛け声があるときと、自分の体を探りながら工夫するときの違いが、そのまま社会生活の配慮や工夫に重なる。 苦しいながら続けていると、最初よりもコツがわかってくる。――同じく体を使う「若者自立塾」や自衛隊の訓練*4と、何が違っているかを考えていた。


トークでは、宇野氏も勅使川原氏も《呼吸》の話をされた。 そこで最後に、次のような質問をした(大意)。

 今はニート・ひきこもり支援と称して、税金や雇用保険から数百億円がつぎ込まれていますが、「クロノスの時間に合流しろ」いう話しかしておらず、ダメだと思う。ひきこもる人はそもそもみんなクソ真面目で、クロノスの時間でこそ自分を締め上げています。
 私は阪神大震災に被災したのですが、「蛇口をひねっても水が出ない」ことに気づいたとき、自分の肺で呼吸ができる!という感覚に気づき、思わず何度も深呼吸しました。それまで引きこもっていた人の一部は、炊き出しなどで活躍したそうです。つまり、アイオンの時間が人を元気にしている
 しかし、たとえば飛び跳ねる時間がアイオンだとしても、ウィークデイ(日常)にずっと順応的に働いて、「今日は休日だからダンスをしよう、アイオンだ!」などと言っても、駄目だと思う。それでは、休日のアイオンまで含めてクロノス(日常)です。また、アイオンで元気になるからといって、災害や異常事態を待つわけにもいかない。ですから重要かつ必要な問いは、クロノスの時間であるウィークデイそのもののなかに、いかにアイオンの時間を繰り込むかだと思うのです。巨額の費用をかけた政策論とも関連しますが、そこはどのように考えるべきでしょうか。

すぐに返答できる質問ではないし、お二人からは「それを考えなければならない」というお話だったと思う。
頭でっかちではなく、「体が勝手にそう考えてしまう」というレベルをいかに解放するか。 それは「体への耽溺」ではなく、内発的な分析の強度にあたる(抽象機械)。 たんにメタ化する知識人言語や精神病理学ではダメだし、かといって単なる肉体信仰でもダメだ。





*1:本を読んでいるだけではあり得ない影響だ。

*2:「社会からの要請で知覚を狭める」ということ(ベルクソンの用語)

*3:翌日から、膝まわりが痛くて困った。 今回は時間の制約があったので1時間で終わったが、本来は2時間ぐらいは飛び跳ね続けてもらうとのこと。

*4:私自身は受けた経験はありません。