親の会に任せるかぎり、「とにかく医療化して、社会保障の対象にしてくれ」という話にしかならない。 自分たちの社会参加の姿勢を考え直すことで社会復帰できる人が出てくるかもしれない、という発想にはならない。 問題に取り組むときの方法論は、すでにどの世代でも決まっていて、その自分の方法がかえって問題をこじれさせているかもしれない、というふうにはなかなか思えない。 「《問題に取り組んでいる》じゃないか!」と思ってしまうし*1、その自分の発想が最初から問題の一部だなどとは、とても理解できないし耐えられない。――そういうメンタリティを、ひきこもっている本人も共有してしまっている*2。 自分の真剣な良心がそのまま間違った姿勢だなどと、それでは立つ瀬がない。 しかしそこで考えなければ。 「自分は、世間と同じスタイルで間違っている」。


親も、学者も、本人も、厚労省も知識人も、「カテゴリー的な役割固定」でしか考えられていない。 だから社会参加も、状況改善もできない。



*1:私からの批判に対する斎藤環氏の反応は、まさにそういうものだった(参照)。 取り組んでいる自分の方法論が問題構造の一部だというのは、なかなか認められることではない。

*2:その意味で、ひきこもる本人自身が観客席にいる。